家庭の記憶

父親は毎日、母親を怒鳴っていた

何かにつけて粗を見つけては怒鳴った、

夕飯を食べ終わった姉が

自分の部屋へ戻った時も母を叱った

父親が食べ終わるまでその場を

離れないのが普通だと

母のしつけが出来てないと、

1番下の私は、食べるのが遅く

そのやりとりを目の前で見ていた、

見たいテレビがあっても我慢して

食卓に座り続けた。

どんなにトイレに行きたくても我慢した

母が「お前だけでもここにいてくれ」と頼むから

 

母は毎日私に言った

「お前の為に離婚をしないで我慢してるんだ」と

私に家があって、着る服があって、

ご飯が食べられるのは母の我慢があるからだと

その呪いの言葉は、何十年と繰り返し

聞かされることになった。

 

父は子どもを可愛がるということは

一切なかった。

決して美人ではない私の事を恥ずかしいとさえ

言っていた、母の事もブスだから恥ずかしいと

言っていた、私の顔は母親ににていた。

思春期を迎えた私は笑うのを

一切やめた、、、笑うともっとブスだからだ